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ひらがな席巻

先日、PTAの集まりでプリントを作ってたときのこと。
プリントの元となる、ひな型を参考に見ていて驚いたこの注意書き。

「子供達」という表現は差別的と指摘されることがあるので
「子どもたち」と表記しましょう


え、え?
これって子供って漢字表記に差別表現が含まれてるということ?なぜに?


まったく意味が分からない。

帰ってからネットでポチポチ調べてみた。

教育、福祉関係の世界ではこの意識はけっこう広がってるらしい。

ウィキによると理由として

1.「子供」の「供」の字は、「お供」、すなわち子が大人の付随物であると連想させるため。
2.「子供」の「供」の字は、神に奉げる「供え物」の意味につながるため。
3.「子供」の「供」は当て字であり漢字に意味はないので、ひらがなにすべきである。
4.「子供」よりも「子ども」「こども」と表記した方が、ソフトで親しみやすい印象を与える(差別であるとは必ずしも主張しない)。



だそーな。

う~~んやっぱりよく分からない。

供、って字がダメって言ってる人たちの根拠としてこの漢字のもつ

①身分の高い人につき従うこと。またその人
②お供の衆の意から、名詞の下について、複数であることをあらわすことば。
③一人称代名詞について、へりくだった気持ちをあらわすことば(漢字源より)


ここらあたりの意味が問題だっていうことなんでしょうかね。


でーもーさー。

子供が大人に隷属してるか否かは別として(今はむしろ反対じゃないかと思うけど)
差別用語って、
①言う側が明らかに相手を侮辱する意図をもって言う場合
②それにかかわる関係者が、言われたときに傷つくか否か
が、判断基準だと私は思うのですよ。

歴史的に①のような使われ方をしてきた言葉がいま差別語として放送禁止用語になってたりも
するようですが
過剰反応じゃない?っていう言葉も中にはたくさんある。

たとえば最近でいうと、痴呆症が認知症に変わったり
精神分裂病が統合失調症と名前が変わったり
というようなことがあったけれどこれは分かる。
その言葉自体に牙があって、当事者や関係者に向けられたときにぐさーっと
心の奥深くにトゲのように刺さってしまう言葉ってある。
漢字ひとつひとつには奥深い意味があり、パワーがあるもんね。


でも、子供!って言われて傷つくこどもや保護者はどんくらいいるんでしょうね?
子供!って、差別的な意図をもって意識的に使う人はどんくらいいるんでしょうね?
加害者と被害者は存在するんでしょうか。
専門的な学者の、机上での考えで、差別語だと騒いで言葉を変えていくってのは
なんか意味があるの?


そんなこと言ったら、最近の子供の名前、歴史的にみるとすごい漢字が使われたりしてまっせ。
日常にあるいろんな対するいろんな漢字、この方式で意味をいちいち掘り下げて行ったら
ものすごくいろんなものが差別的ってことになりませんかね?

差別っていうのはどんな言葉になろうとも、それを操る人が
差別的な意識をもって使えばどれだけ新しくても差別語になってしまうわけで
つまりは人の心を根っこから変えて行かないと表面だけすげかえても
時間稼ぎにしかならないんじゃないかと思う。



【子供】については、上記ウィキの3とか4あたりに本音があるような気がする。
ナントカ団体がうるさいからとりあえずひらがなにしとけ!的な。

そういえば、コドモ手当も、【子ども手当】だったなあ。
最近公的なものにも「子ども」という表記が目についていて、
なんで漢字にしないのかしら・・・などと
うっすら疑問に思ってたことがはっきりしてすっきりするやら呆れるやら。
そういえば最近の政党名もひらがなが多いよねぇ。




差別語、というと、この方の著作を思い出す。

笑うな (新潮文庫)笑うな (新潮文庫)
(1980/10)
筒井 康隆

とりあえず代表作?

人間みな病気 (ランダムハウス講談社文庫)人間みな病気 (ランダムハウス講談社文庫)
(2007/11/01)
筒井康隆(選)

これ面白そうだな


断筆宣言への軌跡 (カッパハードカバー)断筆宣言への軌跡 (カッパハードカバー)
(1993/10)
筒井 康隆

これは読みました。筒井さん闘ってます。
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*Comment

 

テレビやラジオ聴いてて、「不適切な表現がありましたこと、お詫びします。」って言われると、なんていう言葉が不適切だったの?って聞きたくなること、あります。
子供は自立してなくて誰かの保護下にあるのだから、「供」でいいんじゃないでしょうか?
親は子供をしつけていかなければいけません。当然、上の立場にあるべき、と思うのは古い考えなのでしょうか。
一段上から見てこそ、子供の気持ちを考え理解し尊重した上で意見することができるのだと思います。

あまりにも融通が利かなくなってる最近の風潮に、珍しく(初めて?)真面目なコメントしてしまいました(笑)
  • posted by あんず 
  • URL 
  • 2010.07/12 00:42分 
  • [Edit]

あんずさん 

平等を履き違えてるんじゃない?って思うことがよくあります。
人間、それぞれ絶対的な違いがあって、
それぞれに役割があるわけだから、その役割を認め合って尊重しあってこその
”平等”なのに
先生にタメ口使ったり、敬語を使えない人が増えてたり
テレビでもじゃんじゃんタメ口で権威ある人とかに突っ込んじゃってるし
目上の人という感覚がなくなりつつある気がして
そうやって全ての人を自分の友達のような感覚で接するのが、平等・・・?



先日乙武さんが、金子みすずの詩を引き合いに出していて
みんなちがってみんないい、というフレーズが有名だけど、
あの詩は

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい

というように、最初に自分のできないことを認めている詩なのだ、
とおっしゃってました。


> 子供は自立してなくて誰かの保護下にあるのだから、「供」でいいんじゃないでしょうか?
> 親は子供をしつけていかなければいけません。当然、上の立場にあるべき、と思うのは古い考えなのでしょうか。

私もそう思います!
親、だけでなく大人、社会が子供を従えているのだ、と意識することによって社会全体の
子供に対する責任感がより出てくるんじゃないかなあ~
子供は価値観から社会のルールから、すべてを周りの環境から学んでいくんだから
決して大人と同じ立場ではありえないんだけどね・・・。

ちょっと話は変わりますが、
今は子供の行いは全て親の責任!になっちゃうでしょ。世間的に。
でも子供って親以外の影響も、ものすごく受けるし
たいてい親の目を離れたところで悪さする。
でも今はその場にいても直接叱ってくれない。直接言わないで学校に言いつけられたりする。
親の育て方がいけないんだ!なんて言われたりする。
たしかにそういう側面もあるんだけど、
親がずーっとひっついてたら、自立した大人になんてなれないから
心配だけどわざと目を離すってこともあるんだよね。
でもなんかあったときに白い目で見られるのは親だから、
子供がやんちゃだったりすると親は孤立してひたすら自分を責めちゃうんですよね。
地域で責任を分け合えるようになっていければいいのになあと思ったりします。


と、私も珍しくマジメなレスでした・・・笑
  • posted by ゆう 
  • URL 
  • 2010.07/14 21:43分 
  • [Edit]

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