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ほんとうだけど全てではない。

会報が届いてびっくり。
いつの間にか、もう8月なのね。
夏休みも、そろそろ中盤。
今年は熱帯夜がなくて、本当にありがたいです。


さて、この会報での、あの話題について私もちょろっと書いてみようかな・・・

なっがいよ!





「ア・リ・ガ・ト」についてのホカPのスネ毛での、考察について。
(あらなんかの論文みたい?^^;)


えっとねえ、私は、個人的には、
ふんふん、なるほどなあと納得しながら読んでしまったわけです。

おもちゃの歌、として聴けばそれはそれで、深みのある本当に切ない歌なんだけど、
”山崎まさよし”がこれを歌うっていうことは、
ある意味で自分が”おもちゃ”の立場になって歌う、ということだと
私は思ってきたんです。
自分にウソがつけない人だから、完全に”おもちゃ”の気持ちとして、
客観的に冷静に、歌詞を描けるタイプではないと、私は勝手に思ってるんです。
歌の内容に自分を少なからず投影させて、
その歌の世界観に浸りながら歌う、というタイプの歌い手さんだと思うのです。


だから、これを”おもちゃの歌”とだけ受け取らないで、
”山崎まさよし”自身の歌として聴いてしまって、
切なすぎるよ、痛すぎるよ!ってな解釈は、
私以外にも、けっこう皆さんしてらっしゃったと思うのです(が、いかが?)

だからね、あんまり目新しい解釈って気にはならなかった。




”捨てられていくおもちゃ”の話だっていうけれど、
使い捨てられていく、たとえばマックのおもちゃとか、景品のおもちゃとかじゃなくて
彼がMCとかでずっと言ってたのは
「子供のアイデンティティを確立するまでの、代わりになっていたおもちゃ」
つまり子供にとって、片時も離すことができなかった自分の分身のような存在について。

それはすなわち、母親にも通じるわけで、
自立していく子供を思う母親の視点、という解釈でこの曲を聴いても、
充分に効力を発揮する歌なんじゃないかと思ってきたわけです。

母親への想いって、生まれてから死ぬまで一緒じゃなくて、
その時々によって、常に変化し続けるものだと思うんです。
赤ちゃんのころは、母親が、自分の命をつなぐ食糧そのものだし、
幼児のころは、母親が世界のすべてを教えてくれる人であって、
母親の考えが、自分の考えだと思っているところもあって・・・

子供が成長していくにしたがって、疎ましくなって反抗したり口を効かなくなったり
自分とは違う人間なんだ、とだんだん知っていって・・・・

この頃かな、いわゆる精神的に自立していくのは。
母親と違う考えを持つようになる。アイデンティティを確立していく。

おもちゃに例えて、捨てる、という表現をするなら、このころだと思う。

でもね、捨てたわけじゃない、卒業。
人生の、ある成長段階をひとつ乗り越えたっていう、ごく自然な卒業であって

だから、この歌には自分を卒業して巣立っていくお祝いの気持ちがあふれてると
思うんです。
自我を捨てて相手の成長を純粋に祝う曲だから、せつない。


でね、おもちゃを”捨てた”ほうも、物理的に自分の手元からなくしたといっても、
決してその存在まで消し去るわけではなく
心の奥の深い部分に、温かな記憶となってずうっと残っていって
それはこの先の長い人生の要所要所においてふっと胸によみがえって力をくれる。
愛し愛された記憶というのは、人間の生きる活力になると思うから。
そういう非常に重要な役割を果たしていくんだと思うんです、
子供のころ手放せなかったおもちゃっていうのは。





この歌、言われたとおりおもちゃの歌としてきくと、
ど――――――――しても浮いてしまう歌詞があって。
ずっと謎だったんです。



もう誰もイヤな思いをすることはないんだよ



これ。

おもちゃによってイヤな思いをする人ってだれ?
ケンカのもとになって取り合いになるから?
母親がいつも片付けなさい!って叱るもとになるから?(・・・・うちだけ?)

いや、なんか違う・・・・・・

この歌詞だけ、歌の中でぽわっと浮いているような気がして
ずっと気になっていたのです。

でも、今回のスネ毛に書かれているように、
山崎まさよしが自分のことを書いた、と解釈すると
ひじょーに、この歌詞の意味がしっくりと理解できたの、私には。

”山崎の音楽をおもちゃにして、捨てる”というような表現をホカPはしてらしたけど、
その表現はともあれ
ファンを辞めていく人たちへの感謝の気持ち、みたいに聞いてみると、
なるほど、ファンであることで、いい思いもたくさんたくさんするけれど、
確かにイヤな思いをしてしまうことは往々にしてあるわけです、大なり小なり。ね。
いろんな意味で。
自分がいなくなれば、それに付随するイヤな思いっていうのもなくなっていくんだろうな、
という発想なのかもしれないな・・・と思いました。
(ん~違うかなぁ・・・・。悲しくもせつなく恐ろしい発想・・・・)


そして”絶対的な孤独”の話だけれど、

ファンっていうのも、まあ、勝手なもので、
ホカPも、”誰も山崎ほどには山崎ではない”というとおり、
彼が渾身の力でひねり出した曲を、
これは好きとかキライとか、良いとか悪いとか、
熱が冷めたとか上がったとか、妄想したりだとか、妄想がひとり走りしちゃって
挙句に「やっぱキライ」と思ったりとか、するわけです。
出来上がった歌を、彼の思惑を外れて、個々の生活のいろいろな場面に
個人個人であてはめて、いろんな解釈をして楽しんだり励まされたりするわけです。

それは非常にまっとうな、音楽の楽しみ方、ファンのあり方だと思うんだけど、

そうやって個人個人のその時の環境とか感情とかそんなもんにも左右されつつ、
いろいろと”山崎まさよし像”または、"山崎まさよしの歌”が変化していく様子が
おもちゃ、といえば、言えなくもないかな。


本人のほんとうなんて誰も分からないのに、
なんとなくわかったような気持ちになって応援してしまう。
それを、ありがたい!と思う一方で、
孤独にもつながるんじゃないかな・・・・
だいじょうぶ、ひとりじゃないよ、と言ったところで、
ほんとうのほんとうの彼をいったいだれが理解しているんだろう、理解できるんだろう。

これは、自分自身のことにあてはめて考えても、分かると思います。
誰も、本当のほんとうの自分をまるまるすべて受け止めて理解してくれる人なんて
いないんじゃないかな?


ただ、こういう現象について、オーディエンスを批判しているというのではなくて、
ただ淡々と、事実を受け止めてそれに向き合っている、
というように私には思える。
批判だとか、そういう、闘う意志は私には感じとれない。
捨てられたおもちゃが、その人にとってどういう作用をしていくのか、
それを知ったうえでの楽曲のように思える。

だいたい、作者の手元を離れた瞬間に、歌はその人のものになっていくってのは
とっくに分かってることだから、それにたいして批判するっていうのは
どこか筋合いが違うような気がするのですよ。


そしてぼやかすためにわざわざおもちゃの歌、とMCしたんじゃなくて
本当に始まりは、おもちゃの歌だったんじゃないかな・・・と^^;
描いているうちに、自然に自分の奥深くの心情が露呈してしまった、
というようなことなんじゃないか、と勝手に解釈しています。



そしてね、こういう歌を書いたからって、じゃあすなわち彼はいまこういう気持ちなんだ!
と、いうわけではなくて
いろんな感情の、一部分の歌だと思います。
ほんとうだけど、これがすべてではない。

一方で「いまある孤独は誰にも譲れない」ほど、孤独に強く、孤独を愛する人だしね。
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*Comment

No title 

す、すばらしい!!
ゆうさんのおっしゃる通りだと私も思います。
私も母性に通じるものがあるなーと思いました~

>もう誰もイヤな思いをすることはないんだよ
これね、私もコレが本当に腑に落ちなくて
この詞が無ければおもちゃだって事に
何の疑問も持たなかったかも。

>オーディエンスを批判しているというのではなくて、
>ただ淡々と、事実を受け止めてそれに向き合っている

そうそう、事実としてって感じ。
そこに批判は感じられないですよね
それこそ
>自分を卒業して巣立っていくお祝いの気持ちがあふれてる
だと思います。

そしてこんな気持ちは何も「山崎まさよし」だけに限らず
色んな人が感じている気持ちだからこそ
みんなの心に響くんじゃないかなーなんて

この論文、ぜひBHに提出を…(笑)
  • posted by iza 
  • URL 
  • 2009.08/05 23:44分 
  • [Edit]

izaさん 

え、BHに提出かいっ(笑)

有名人であればあるほど、孤独は深いのかなーなんて思います。

ここに書いたことは私が勝手に邪推した解釈にすぎないんだけどね。
でもファンってこうやって、勝手な解釈をしていくしかないんだよ。
それがおもちゃと言われれば、そのとおりだと思うけど、
いろいろと好き勝手に解釈しながら好きであり続けるしかないんだよ。
本当のところなんて、実は本人も分かってなかったりしてね^^;

これね、”おもちゃ”という言葉に対する、人それぞれのイメージや解釈が広いっていうことと、
穂苅さんがいう”おもちゃにする”という意味と、私たちファンの立場とが違うから
いろいろ物議をかもした(笑)んじゃないかな・・・

私たちが彼の歌を”おもちゃ”にする、ということと、
スタッフが彼の歌を”おもちゃ”にするっていうことは意味が違うからね・・・
だから、それを私たちに問いかけられても、ではどうせえと?
みたいなところはあると思う。

まあ、でもね、要するにね・・・・・・

良い曲ですっ!!!
  • posted by ゆう 
  • URL 
  • 2009.08/07 12:02分 
  • [Edit]

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